SE目線でないアジャイル開発(1)

謎の題名であるw

 

私は現在、主にモバイルのアプリケーション開発を主事業とするスタートアップ企業にてバックオフィスを担当している。

開発方法はウォーターフォール型ではなく、アジャイル型を採用している。

※両者の概要と詳細はこちらより引用↓↓

アジャイル開発とウォーターフォール開発のポイント比較8つ|メリットなども紹介 – IT業界、エンジニア、就活生、第二新卒、転職者、20代向け情報サイト

 

さすが元々SEの不満から生まれてきた開発方法だけあって、早い、柔軟性がある、ニーズを組み込みやすいといいとこどりである。SE目線から見ると、面倒なドキュメントも作らなくてよくて、とりあえず動くものを早くつくってバグ確認してどんどん進められる、というメリットが大きいやり方なのだろう、評価されるのも納得。

 

そしてSEではない私が関わっているのが、承認系のプロセスやapp内のモニタリングのプロセスの構築である。(その後appに実装)

 

私の知っているアジャイルはどう動くかのプロセスを簡単にべた書きしたものを下地に、直感的にUI(ユーザーインターフェース)を作画し、小さいモジュールを早くたくさんつくっていく。そのため、1週間前にはなかったプロセスがいきなり追加されてきて、このモニタリングどうしましょうか、と前触れもなく問われるわけである。

こちらとしては全体像を決めないままに作り始めている中で、モジュール間での関係性もわからず(というか最終的に上がってくるコンテンツすら決まっていないだろ、とw)、全体を俯瞰できる状態になってから初めて、どうモニターするかを考えられるという立ち位置である。

そう、ビジネスプロセス自体をappを作りながら考えているような状態なので、アジャイルが一通り終わってからでないとそもそも着手できないような性質のものである。

想像してみて欲しいが、ウォーターフォールの場合は設計段階できちんとシステムの全体像、コンテンツも決まり、モジュール間での取り回しも決まる。その中でもちろん承認系やモニタリングの手法、構造もきちんと検討する時間がある。ウォーターフォール型開発の中で途中で設計変更があれば大変だ、と言われているが、どこをどのように変えればいいかを遡ってロジカルに追加となる工数が算出できる、というのはそれはそれで価値があるように思う。少なくとも私の担当するパートは、「動けばいい」という代物ではないので、逆算できる開発計画がとても安心できる。

 

ここからは主観全開となるが、

・上述の理由から私のパートは最終盤の開発アイテムの一つとなるが、満足に考える時間もない

・開発終盤になっているためなぜかこちらが焦らされる

・動けばいい、バグ出し⇒直せばいい、異例ケースは考慮せず後から考えよう、設計資料はないけど動くからいいよね、バグの原因究明?もう直したからいいでしょ、で他箇所への潜在的な影響等も不明、次のスプリントで直しまーす(テヘペロ)  etc..

・ようはSEのSEによるSEのための開発手法で、彼らは気持ちよく開発できるかもしれないが、そのあおりを受けている、という感覚がある

 

ネットサーフィンにてアジャイル開発に対して私と同じような意見や感覚のソースを探したが見つからず…どうやら私のような特殊な経験をしている人は少数派であるようだ。

ただ素人ながら一定以上の規模の開発でモジュールの数が多く、その裏で2重3重で動くロジックが多いものはアジャイルよりもウォーターフォールが向いているのではないか、と感じている。

業界内ではウォーターフォール型で開発された古いシステムは皮肉を込めて"レガシー"と呼ばれるらしい。私がウォーターフォール型に少しでも価値を感じるということは、考え方が古いのだろうか、あるいは対象が部分的すぎてアジャイル全体のメリットが見えていないのだろうか、それとも少数意見すぎるのだろうか。。。

 

 

この内容を肴に違うことを書きたかったのですが、思わず色々吐き出して尺を取ってしまいました。続きはまた次回…

 

先に言えは黙殺の温床

現在管理部門で働いているが、最初に就職した会社では営業職だった。

tamasaburo6.hatenablog.com

視野を広げるために営業部門と管理部門の両方で働きたいと思っていたのも転職のきっかけのひとつであったが、今回はその中で感じていることのお話。

 

題名の通り、普通の会社では営業/企画部門がビジネスの企画立案、推進を行っていくわけだが、やるべきこと確認すべきことが膨大なのと、専門的な視点からのレビューが必要ということもあり、いわゆる管理部門のアドバイスを仰ぐことも多い。

 

営業の時の気持ち:

1.お客様視点に立って、板挟みで社内調整も大変だが、ぜひやり遂げたい

2.早くレスポンスしたい、スピード命

3.批評はわかったからいいか悪いか言ってくれ、当事者意識持ってくれ

4.専門的なことはわからないからチームの一員として打ち合わせで矢面に一緒に立って

 

管理部門でわかったこと:(↑番号に対応)

1.お客様も大事だが、自社が安全にビジネスすることが肝要

2.起用中の社外専門家から裏付けのコメント取りたい。その後まず部門でレビュー

3.ビジネス推進の責任は営業部門、こちらはレビューの責任を負っている

4.レビューの責任上、営業部門と管理部門の独立性の担保は内部統制として重要

 

完全に対応していておもしろいですよね。営業部門の時に管理部門に不満に思っていたことが、自分が管理部門に移ったら自分が営業部門に対して言うことになっていました。

管理部門は営業部門が暴走せずきちんと歯止めがかかるように、しっかり離れたところから意見を言えるように組織を整備することが"一般的なガバナンスコード"では求められていますが、スタートアップ会社であったり、新プロジェクトではこのあたりの責任の線引きが曖昧なまま爆発的な速度で事業が構築されていき、上場前にこのあたりを慌てて整備…なんていう話も聞きます。

なので経験上、これらはどちらも正解なのだと思います。会社の状況や立場によって、どちらの色をより色濃く出して働くか、という違いだけで。

 

ただその中で感じ続けていることがあります。

「それ今じゃなくてもっと先に言ってよ!」。。。

というのは社会人であれば誰しも一度は思ったことがあると思いますが、思ってもできるだけ言わないようにしています。で・き・る・だ・けw

 

デザインの変更等今更言われてもどうしようもない、とか、既に外部の業者さんに発注出しちゃったとか、色々想定できるケースはあると思うのですが、

 

営業視点:

1.自分の根回しが足りなかったことを反省

2.スケジュールを引き直して、納期が遅れるようならそれを冷静に相談

3.アドバイスをいただいてありがとうございます

 

管理部門:

1.もっと早く言えたらよかったけど、今気づいてしまった。耳が痛いだろうけど会社のためにあえて言っておく方がいいはず

2.気づいていたのに言わなかった場合、後に何かあったら個人に責任が降りかかる。透明性をもって会社全体で共有しておくべき

3.承認プロセスの円滑化等で今後はもっと営業/管理双方の負担を減らそう

 

と、健全な組織であれば建設的な意見はたとえどんな場面であっても前向きに受け止められるはずなのです。(そりゃ、優先順位付けなどはしますよ、人間だものw)

Googleのチームが成果を出す秘訣として「心理的安全の確保」が挙げられていましたが、何をいってもいい、ということではなく、言わなきゃいけないことを言いづらい雰囲気にするのはやめましょうね、チームメンバー間はFairでRespectableな関係を保ちましょうね、ということだと解釈しています。

 

どうでしょう。

先に言ってよ、というワード、チームで気持ちよく仕事をするために私と一緒に我慢してみませんかw

英語力向上と日本語の語彙力との関係

仕事の縁もあり、2年ほど前から英語圏(アジア)の会社に出向させてもらっている。

 

数十人単位のいわゆるスタートアップ企業で日本人は数人。メールにしろ会議にしろ、日本語よりも圧倒的に英語のコミュニケーションの比率が大きい。そこでの話も色々あるのだが(また別の機会に)、今回は英語力と日本語力について書きたい。

※下記の内容はあくまで主観です。

 

大層ひどかった私の英語も、↑↑のような環境で働くしかないとなると、曲がりなりにも向上するのだろう。当時と比べて大分マシになってきているような気がする。(お世辞も多分に含むだろうが、日本人や現地社員にもそのように言われる。というか、最初がひどかったんだろうな…)

 

英語の会議で議論されている内容すら追いついていくのが難しく、言いたいことの10%も満足に言えない。(そりゃそうだ、聞かれてる内容も理解できないまま答えてたりするのだから…)プレゼンはスライド丸読みか、カンペをつくってリハしておかないと不安で仕方ない、質問されるセッションが怖すぎる。。

今思えば準備やフォローアップに大分時間がかかっていた。

多くの英語堪能な方もおっしゃっているように英語学習に終わりはなく、私も完全なカンペ作成をしないプレゼンが増えたり、言いたいことが30%くらいは言えるようになっってきたかな、という一定の手ごたえもあるが、本当に"まだまだまだ"である。

 

 

さて、その上でたまに日本語の会議、コミュニケーションをする時。

 

これが上手く話せていない感じがすごいのである。

周りにどう聞こえているかはわからないが、活舌は悪いわ、ポイントは不明瞭だわ、話は長くなりがちだわ。。自分なりに分析すると、語彙力が足りていないように感じることが多い。(適切な言葉が瞬間的に思いつかず、時々止まる、みたいな)

英語も上手なわけではなく、(少しずつ改善はしているはず…)英語を話しながらまさに同じような状況になっているのだが、困ったことに日本語でも同じような感覚となっている。

 

・日本にいた時から元々私が同じような状況だったのか(元々日本語も下手)

・英語を話すようになり日本語の会話能力に何かしらの影響を与えているのか

・そもそも英語ができるようになった分だけ日本語が退化するのか(脳のメモリ問題?)

・自分の視野が広がり、理想とする会話能力のハードルが上がった

 

して、どのような原因で(少なくとも私の中で)このような感覚になっているのかが釈然とせず、誰かに聞いてみたいなぁ、と思う次第である。

 

勝手に妄想を膨らませると、もしいわゆる帰国子女の方々が似たような感覚(日本語も英語も話せるが、どっちもネイティブに敵わないなぁ、みたいな)を持っているとすれば、昨今の幼児英語教育への見方や、自分の子供と英語をどのように関わらせていくかの方針にも大きな影響を与えるように思う。

 

超サイヤ人/界王拳 @働き方

筆者は2009年に最初の会社に就職した、現在齢は30代半ば。

まず、題記の超サイヤ人界王拳鳥山明さんの名作「Dボール」から引っ張ってきているが、"仕事"における私なりの定義は後に記載し、それぞれの良し悪しについては主観であることについて留意されたい。

 

幼少から野球に慣れ親しみ(有難いことに)自然とチームワークの中で生活していたが、大学生活、就職と志向が逆サイドに振りきれ、

・"個人"でどこまでできるかの可能性を試したい

・強いチームのためには強い個が必要だ

・自分の看板で生きていきたい

このような考え方を重視していた。

 

その上で幸いにも就職活動の結果、いわゆる超サイヤ人的な働き方 - つまり、高負荷/高報酬/高成長 という"3高"を個人の能力で実現できる会社に入ることができた。

そしてそこではたくさんの超サイヤ人界王拳を繰り出す若者をみることができた。貴重な経験だったと思う。

 

【私なりの定義】

超サイヤ人

 ・修行を積み重ね、あるきっかけ(友の死など)で覚醒し黄金の闘気を纏う興奮状態へ

 ・慣れで興奮(闘気)を抑えながらでも、ナチュラルなハイパフォーマンス状態を維持

 ⇒無意識でもハードワーク可能

界王拳

 ・自分の力の何倍にも高められるが、一定時間のみ有効。赤い闘気

 ・効果が切れた反動で心身ともにダメージ大

 ⇒身をすり減らしての自転車操業のハードワーク

 

会社に入って驚いたのが、上司や一流と評価されている人がみな超サイヤ人で、常にその状態で仕事をし、部下や周囲の人間にもそのレベルを要求することであった。

要領を得ない若手や、2流以下の社員は超サイヤ人の仕事レベルに応えるために、界王拳を乱発する日常。(営業職だったため、翌月以降の売り上げの前倒し計上もよくあり、それも界王拳になぞらえて自虐的に使用されていた)

今と比べコンプライアンスが緩かったこともあるが、会社も"壊し屋"の上司を見て見ぬふりをすることも少なくなく、売り上げがあがるなら何をしてもOKとまではいかないが、それに似たような空気感はあった。

 

私は幸か不幸か、心身が健康なままで結果として5-6年で転職するに至ったが、以下3つの教訓、特に3.を実感できたことは自分の人生の中で価値があったと思う。

 

1. 超サイヤ人として働ける人は幸せ

2. 界王拳の常用は危険

3. 時間の流れと共に人生の優先順位は変わる

 

今、家庭を持ち子供を授かって思うことは、

・みんながみんな超サイヤ人を目指さなくてもいいんじゃないか

界王拳はたまにしか使わない方がいい

・仕事より大事なことがある、という人の気持ちを少しわかるようになった気がする

 

と、明日人生が終わるかのような勢いで生きていた冒頭の就職前から大分変化している。

 

そこが興味深い、というのが今回のお話。

当ブログの目的

日常でその時感じたことを、切り取って残していきたい。

 

【主な目的】

・その時思っていることをメモしておきたい(すぐ忘れる…)

・何か自発的に継続したい

・書くのが好き