超サイヤ人/界王拳 @働き方

筆者は2009年に最初の会社に就職した、現在齢は30代半ば。

まず、題記の超サイヤ人界王拳鳥山明さんの名作「Dボール」から引っ張ってきているが、"仕事"における私なりの定義は後に記載し、それぞれの良し悪しについては主観であることについて留意されたい。

 

幼少から野球に慣れ親しみ(有難いことに)自然とチームワークの中で生活していたが、大学生活、就職と志向が逆サイドに振りきれ、

・"個人"でどこまでできるかの可能性を試したい

・強いチームのためには強い個が必要だ

・自分の看板で生きていきたい

このような考え方を重視していた。

 

その上で幸いにも就職活動の結果、いわゆる超サイヤ人的な働き方 - つまり、高負荷/高報酬/高成長 という"3高"を個人の能力で実現できる会社に入ることができた。

そしてそこではたくさんの超サイヤ人界王拳を繰り出す若者をみることができた。貴重な経験だったと思う。

 

【私なりの定義】

超サイヤ人

 ・修行を積み重ね、あるきっかけ(友の死など)で覚醒し黄金の闘気を纏う興奮状態へ

 ・慣れで興奮(闘気)を抑えながらでも、ナチュラルなハイパフォーマンス状態を維持

 ⇒無意識でもハードワーク可能

界王拳

 ・自分の力の何倍にも高められるが、一定時間のみ有効。赤い闘気

 ・効果が切れた反動で心身ともにダメージ大

 ⇒身をすり減らしての自転車操業のハードワーク

 

会社に入って驚いたのが、上司や一流と評価されている人がみな超サイヤ人で、常にその状態で仕事をし、部下や周囲の人間にもそのレベルを要求することであった。

要領を得ない若手や、2流以下の社員は超サイヤ人の仕事レベルに応えるために、界王拳を乱発する日常。(営業職だったため、翌月以降の売り上げの前倒し計上もよくあり、それも界王拳になぞらえて自虐的に使用されていた)

今と比べコンプライアンスが緩かったこともあるが、会社も"壊し屋"の上司を見て見ぬふりをすることも少なくなく、売り上げがあがるなら何をしてもOKとまではいかないが、それに似たような空気感はあった。

 

私は幸か不幸か、心身が健康なままで結果として5-6年で転職するに至ったが、以下3つの教訓、特に3.を実感できたことは自分の人生の中で価値があったと思う。

 

1. 超サイヤ人として働ける人は幸せ

2. 界王拳の常用は危険

3. 時間の流れと共に人生の優先順位は変わる

 

今、家庭を持ち子供を授かって思うことは、

・みんながみんな超サイヤ人を目指さなくてもいいんじゃないか

界王拳はたまにしか使わない方がいい

・仕事より大事なことがある、という人の気持ちを少しわかるようになった気がする

 

と、明日人生が終わるかのような勢いで生きていた冒頭の就職前から大分変化している。

 

そこが興味深い、というのが今回のお話。